マルケスのフロントゴケの仕方
マルケスはやっぱすげーな~ というネタです。
ミシュランタイヤによる転倒って
ことしのMotoGPのベストショット映像の流行は、アグレッシブな左コーナーの映像と、うまく回れていない右コーナーの映像+転倒映像!
これって、ミシュランタイヤが悪いのではなくて、右コーナーで思った通りに曲げれていないことへのツケが回ってきただけ、とんだ濡れ衣ですね。
多分に右足でのブレーキ操作がもたついていることでのタイミング喪失や荷重・加重不足などで、想定しているベストな状態とはかけ離れているにもかかわらずタイムはそこそこ出さなければいけないということなどが主な要因なのではないでしょうか?
ECUの問題であったとしても、間違ってっもタイヤのせいにしてはいけない場面なところ。
ライダーは「自分が下手だからです」とは言えないのでしかたがないとしても、それではミシュランがかわいそう、ってワンメークだから寄ってたかってけなす分には問題ないんですね。
マルケスコケる
そんな中、2016年ロードレース世界選手権MotoGP アルゼンチンGPで、マルク・マルケスが決勝レース前後にスリップダウンしましたね。
一つはこれ!
.@marcmarquez93 se quita un peso de encima y gana una carrera flag to flag https://t.co/1MtTvfLe3u vía @elespanolcom pic.twitter.com/qnWwmi0Uu5
— elena isardo (@elenaisardo) 2016年4月3日
もう一つは予選、Q2の後半でのフロントゴケ!
これへの本人のコメントは マルケス、転倒の理由を説明 で。
で、今年の私は予選もリアルタイムに見れるし、なんと後からマルチスクリーンで見直すことも出来るようになった(自慢)!
なので、少し転倒場面を妄想してみます
まずはスリップダウンの前にタイムスリップ!
万歳岡田!
その、日テレG+ではアルゼンチンGP決勝の放送前に『MotoGPプラチナセレクション』というのをやってまして、
今回は『1997インドネシア 岡田忠之がドゥーハンを破る』でした。
V5に向けて向かうところ敵なしのドゥーハンを実力で最終ラップにパスして優勝し、憤懣やるかたないドゥーハンをみれる貴重な映像です。
その直後のMoto3の表彰台に、最高峰クラスの日本人5人目の優勝者である岡田忠之が再び立つことができました(監督としてですが)。
なんとタイムリーというか、感慨深いというか!ということを一言書かずにはいられないのでした。
因みに、この1997年の14戦のダイジェストは、MotoGPのオフィシャルサイトで有料会員はいつでも見れます(自慢)。
その、インドネシアGPで4位だった青木宣篤と、7位だった青木琢磨ともう一人、
青木治親が全日本ロードレース選手権の第1戦筑波ラウンド(4月9~10日)に併催して行われるMFJ CUP JP250クラスに「AutoRace&TC with TEAM Norick」よりスポット参戦します。
ご存知の方も多いかと思いますけど、JP250クラスの決勝は土曜日なのでお間違いなく。
現地に行けない方はこちらでチェック! MFJ SUPERBIKE
しかし、青木治親の放送はなんと7月16日! ということで現地に見に行きます。
マルケスの転倒の理由
先のコメントによると転倒理由は「転倒はハードにプッシュし過ぎた」ということだそうです。
確かに転倒理由ではありますが、これではラチがあきません。
ハードにプッシュし過ぎたから転んだだけではだめで、
ハードにプッシュし過ぎた結果フロントがブレイクしたとか
ハードにプッシュし過ぎた結果リアがブレイクしたとか、
スライドへのバランスがうまく取れなかったとか。
もう一つ、ハードにプッシュし過ぎた結果読みを間違えたというのがあります。
手加減や、程度を間違えたってだけの場合です。
転倒シーンの映像をオンボードカメラ映像を含めてみると、
今回はこの読みを間違えた結果、バランスを崩したのが原因ではないかと思われるのです。
改めて転倒原因を詳しく言い直すと、「転倒はハードにプッシュし過ぎたため、想定スライド量を読み間違えて、バランスを崩した」といえると思います。
そして、恐るべしは、「スライド量が想定通り」だったら転ばなかったのではないか?
ということではなく、この時点でもマシンもタイヤもライダーも正常に機能していることです。
読み間違え以外はすべて完璧に近い状態なのではないかということです。
これは、もう一度やり直せば、クリアしてしまうということです。
あるいは、この転んだ状態から立て直す、だるま走法ができるということです。
何でここまで言うかというと、転倒の仕方が通常のフロントゴケとは違うからです。
と思う理由を説明してみます。
今回の転倒時の挙動
今回の転倒は前後のタイヤがスライドしている中、更にバンキングしたところでマルケスが右手をはなして地面に手を付き、その後お尻と上脚部でスライドしつつ、しばらくしてから完全なスリップダウン状態に陥る感じです。
そのときのフロントタイヤは、侵入時には外を向き、バンク角が増えてきてから切れ込むような状態になりそのまま転倒となっています。
一見よくある「フロントの切れ込みによる転倒」のようですが少し違います。
オンボードカメラの映像では、マルケスがハンドルから手をはなすまで、転倒の兆候は見分けられませんでした。
決め手はオンボードカメラのブレです。
一般にマシンの振動はグリップしているときに比べスライドしているときのほうが振動は少なく感じます。
数値的な振動量はともかく体感的には、スライド時には、スライドしていることにより路面からの挙動が緩和されます。
そうしてみると、通常のスリップダウンの時には、スリップダウンし始める場面でカメラの振動が増減することで、ブレイクしだしたことを知ることができます。
ところが今回の映像ではそれがありません。
見た目には、いつも通りのさらなるバンキングと違いないように見えました。
ところがその時点で、マルケスはいち早くリカバリ体制をとろうとしているのです。
それは左手の肘でわかります(画像の2枚目です)。
これはダートトラック(に限らずですが)でのフロントタイヤへのトラクションを増やすときの動作です。
そして、にもかかわらず、上体は起き上がるのではなく逆に沈み込んでいってる、すなわち落ちているので、これが想定外だとわかります。

まだ転んではいない

フロントが逃げ出したところ、普通は肘が下がるところを上げている。

ここまできてやっとオンボードカメラで転倒しているんだとやっとわかる。しかし、よりブレイクしているのはリアタイヤ。
つまり、言い直すとこういうことです。
前後のタイヤをスライドさせて曲がるコーナーを、
- いつもよりもプッシュした結果、
- いつもよりスライド量が多くなり、
- そのスライド量を見込んでいなかったため、
- バランスを失いバイクが内側に倒れこんで来て、
- バンキングによりフロントのトラクションが減り、
- フロントタイヤのトラクション不足によりコーナリングフォースが減少し、
- フロントタイヤが切れ込みだし、
- 左手で抑え込もうと頑張るもトラクションはリカバリ出来ず、
- バイクがますます内側に倒れんこんで来て、
- お尻も大腿部もスライダーになり、
- ライダー(スライダー)の旋回力によりフロントのトラクションが減り、
- リアタイヤがとうとう派手にブレイクしだし、
- 左手だけで上体を元の体制に戻すことも断念し、
- 右手をグリップから離し、地面に手をつく動作に移り、
- めでたく転倒
と、こんな感じでしょうか、
これは経験を積めばできるのか、天才だからなのか、何らかの才能を伸ばせばできるのか?、を知りたいところですね
しかし、次元が高ければ高いほど安全、といういい見本ですね。
正しい理由
これを「フロントゴケ」と呼ぶのはフロントタイヤがあまりにもかわいそうなので「リアのスリップダウン」。
「プッシュしすぎた」も間違いで「バランス加減を間違えた」。
公式コメントって、ライダーは負けず嫌いだし、契約もあるし、スポンサーもあるしファンの目もあるしで、必ずしもこちらの知りたいことを避けたり、表現を濁したりしますよね。
結局のところ、もはやしがらみの少ないゲストライダーさんの経験豊富な意見・判断を仰いだ方がよさそうですね。
ということで、タイトルの「マルケスのフロントゴケの仕方」はズバリ、「まねできない」というオチでした。
参考
以下日テレG+のサイトより引用させていただきました。
次回は、2001マレーシア 加藤大治郎 年間王者決定の瞬間 5月13日(金) 3:45~4:45 …録画予約ですね
MotoGPプラチナセレクション 伝説のライダーの伝説のレースが甦る
(1) 1996鈴鹿 阿部典史大逆転初優勝
1996年、鈴鹿で行われたWGP日本グランプリ。最高峰クラスフル参戦2年目の「ノリック」こと阿部典史は予選で11位。しかし決勝では次々と順位を上げていき、ついにトップに立ち、14年ぶりとなる日本人最高峰クラス優勝、そして自身初の最高峰クラス優勝を飾った。日本のバイクファン待望の「日本人ライダーが日本製のマシンで日本グランプリに勝つ」その瞬間に向け長髪をなびかせて快走するノリック。伝説のレースが日テレジータスで甦ります!
(2) 1993スペイン 坂田和人涙の初優勝
1993年第4戦スペインGP 125ccクラス決勝。レース前日の予選、若井伸之を不慮の事故で失い、日本人ライダーたちは決勝レースの出場に対して逡巡する。中でも、親友でありライバルでもあった若井を失った坂田和人の沈痛ぶりは凄まじく、周囲は心を痛めた。それでも決勝への出場を決めた坂田和人は、レースが始まるとトップを快走。独人ライダーのラルフ・ワルドマンが猛追する中、必死に逃げる坂田。タイヤが限界に近づく中、幾度も転倒の危機を紙一重で脱する坂田の姿に、サーキット中が見えざる力を感じていた…。鬼気迫る坂田のライディングに観客はひとつになる。グランプリサーカス3年目にして初めて表彰台の頂点に立った坂田は、日の丸が掲げられる中、盟友が見守ってくれている天を仰いで涙を流し続けた。後に、2度の年間王者に輝いた125ccのスペシャリスト坂田和人、その初優勝レース。涙のレースを日テレジータスで初公開。
(3) 1997インドネシア 岡田忠之がドゥーハンを破る
1997年のWGP500ccクラスは13レースを終えて12勝とミック・ドゥーハン(オーストラリア)が席巻していた。ドゥーハンは’94年から3シーズン連続ワールドチャンピオンに君臨しており、この年も5月に開催されたイタリアGPから負けなしの10連勝、既にワールドチャンピオンの座を確定させ、意気揚々と第14戦の舞台、インドネシアのセントゥールサーキットに乗り込んできた。ドゥーハンひとりに注目が集まる中、その連勝記録更新にストップをかけたのは、GP参戦5年目、最高峰500ccクラス2年目の日本人ライダー岡田忠之だった。岡田にとっての500ccクラス初優勝はドゥーハンに競り勝つというドラマティックなものだった。
(4) 1994アルゼンチン 坂田和人年間王者、上田昇驚異の追い上げ
1994年第13戦 アルゼンチンGP125ccクラス決勝。日本人が125ccを席巻した1994年。残り2戦となったこのレースまで、12戦のうちなんと10戦で日本人が優勝。ポイントトップ坂田和人は、日本人3人目の世界チャンピオンに王手をかける。ライバル上田昇は、最終戦まで持ち込むべくマシンを駆ける。「ノビー」こと上田が、スタートを失敗しながら、圧倒的なスピードで次々とパッシング、最終ラップ、最終コーナーまでマルチネスと優勝を争う。坂田和人は負傷の痛みをこらえながら完走、世界王者を決める。日本人の強さが輝く歴史的レース。
(5) 2001マレーシア 加藤大治郎 年間王者決定の瞬間 5月13日(金) 3:45~4:45
2001年第15戦マレーシアGP250ccクラス決勝。当時25歳の加藤大治郎は、ここまで14戦で9勝をマーク。このレースで勝てば、日本人5人目の世界チャンピオンとなる。ポイント2位も日本人、「クールデビル」原田哲也。灼熱のセパンを舞台に、ポールポジション加藤大治郎を、6番手スタート原田哲也が追う。このレース、優勝で見事年間王者を決めた加藤は、世界のスターダムにのし上がる。わずか2年後、若くしてこの世を去った加藤大治郎、愛らしい笑顔と驚異的強さ…「ゼッケン74」を偲ぶ時、誰もが語り継ぐ歴史的レース。
(6) 阿部典史 ロッシも衝撃を受けた鮮烈の世界デビュー
阿部典史(ホンダ)は前年の1993年全日本選手権最高峰500ccに18歳でフル参戦、この年を最後に廃止が決まっている500cc最後の王者に最年少で輝いた。翌年の1994年、日本GPにスポット参戦することになった阿部典史は予選7番手。他のライダーからはノーマークだった阿部典史は1周目に4位まで上がりケビン・シュワンツ、ミック・ドゥーハンといった世界王者を相手に互角のバトルを展開した。19周目、後ろにドゥーハンを従えてトップのシュワンツを追っていた阿部典史は第1コーナーで大転倒! 残り3周というところでリタイアに終わった。このレースを見たバレンティーノ・ロッシが阿部典史のファンになったという。阿部典史はこの年、シーズン途中にホンダからヤマハに移籍。翌年からウェイン・レイニーのチーム(ヤマハ)で世界GPフル参戦することになった。阿部典史が世界に衝撃を与え自らの力で世界の切符を手にいれた伝説のレース。
(7) 中野真矢 決戦は最終戦 0.014秒差で王者を逃す
世界GPフル参戦2年目の中野真矢(ヤマハ)がチームメイトのオリビエ・ジャックと年間チャンピオン争いを演じたレース。中野252ポイント、ジャック254ポイント二人のポイント差はわずか2ポイント。243ポイントでランキング3位の加藤大治郎にもチャンピオンの可能性が残っている。レースは中野とジャックが徐々に加藤との差を広げ二人のマッチレースとなった。中野はスタートから終始トップを走り2台はテール・トゥ・ノーズまま最終ラップへ。最終コーナーを先に立ち上がったのは中野、このままチェッカーを受ければチャンピオンだった。しかしホームストレートで2番手のジャックが中野のスリップストリームから抜け出し、2台は並んでフィニッシュラインを通過。勝ったのはジャックだった。中野はわずか0.014秒差で惜しくもチャンピオンを逃してしまった。
(8) 原田哲也 悪夢の最終ラップ カピロッシに激突され王者を逃す
原田哲也(アプリリア)がチャンピオン目前でチームメイトのカピロッシ(アプリリア)に激突されチャンピオンを逃したレース。ポイントリーダーのカピロッシは2勝で204ポイント、一方の原田は5勝で200ポイント。原田はカピロッシより上位で且つ2位以上に入れば年間チャンピオンになれるという状況。レースは終盤、原田とカピロッシ、そして同じくアプリリアのバレンティーノ・ロッシの3人によるトップ争いになった。そして1位カピロッシ、2位ロッシ、3位原田の順で最終ラップへ。カピロッシは2度のミスでロッシと原田にパスされて3位に後退、原田はこのまま2位でフィニッシュすれば5年振りのチャンピオンになれるはずだった。ところが最終コーナーのひとつ前の右コーナーでカピロッシの常識ではありえない無理な突っ込みにより接触! 転倒した原田はグラベル上で怒りをあらわにした。カピロッシはチャンピオンを獲得したがチームを追い出されることになった!




















