レースにたらればはない
よく聞く言葉ですが、使い場所が違います。
結果は結果

前のライダーがこけたらどうしようとか、後ろから突っ込まれたらどうしよう、とか、考えていたら、こんな走りはできないでしょう。
レースは結果が命ですが、結果に対しての「たられば」はいうまでもなく後の祭りです。
対して、レース前に戦略を考えるときの「たられば」は、戦略をより強固にするためには必要でしょう。
ではレース中の「たられば」はどうでしょう?
慎重と臆病とでは、似て非なるものです。
この表裏一体の両者の違いは、その使い場所です。
正しく使えば慎重で、場面を間違うと臆病と言えたりしませんか?
そして臆病といわれるだけならまだしも、結果が悪くなってしまうのでは、それは深刻な事態です。
そうならないように「たられば」も正しく使いましょう。
パッシングの使い道
レース中の「たられば」はレース中の作戦ではなく、ライバルの動きを想定しすぎてしまった時のことを表す言葉となります。
予め計画されていたり、想定していること異なる事態に対して使われます。
天候の変化に寄るコースの変化への対応を気にすることは「慎重になる」といわれます。
「どうしよう」ではなく、「よく注意しよう」であるからです。
この「たられば」は百害あって一利もないと思うことにしましょう。
そもそも思い通りに動くわけのないライバルの動きに、あれこれ心配しだしたらきりがないからです。
作戦的なことは、ライダーの酸欠な脳力より、さくらのコンピュータ(さくら市のほう)の決断のほうが遥かに結果は良好なはずです。
全てを作戦本部に任せることはできないし、もちろん危険回避は必要ですが、最悪の事態をいちいち想定していたら、肝心の実力を発揮できなくなってしまいます。
もしも本当にあれこれ考える必要があるのなら、その場面は、ポジションのキープか、一旦轢いても良い場面です。
そうではなく、ポジションやラップタイムを上げたいのであれば、その考えが思い浮かんでいる時点で、走りの質が落ちているという問題があるのです。
思い起こしてみれば納得できると思いますが、ベストの走りをしている時には、不安要素を予想したり、ポイントを確認することはあれ、考えこんだりはしていないはずです。どちらかと言うと、良いことだけ、前向きなことだけ考えている時に、良い走りができているのではないでしょうか?
ライバルより良い走りをが必要なときに、選択肢について思い悩んだりする事は限りあるリソースの無駄づかいとなってしまいます。。
そこでです。
ほとんど接触の仕方のような、パッシングの方法を前回まで書いてみましたが、
それをマスターすると、この「たられば」の出番をなくす事に関して効果的です。
そもそも、ぶつかる、あるいはぶつけるつもりで走行していたら、これ以上悪いことは起こりません。
そう、相手の出方を気にしたりする、たらればを考える、その出番が減るのです。
たらればという選択肢や恐怖心が一切脳理をかすめない、それができれば、大成功です。
その状態であれば、例えば、スタートで出遅れて、最後尾まで落ちたけど、数周でトップに返り咲くときの走りに似ています。
追い上げている時には、遅いライダーというかパイロンのことなど、考えている余裕が無い、というか深く考えませんよね。
そしてその状態の時には、殆どの場合自身の実力通りの快進撃を発揮できしまったりしています。
これは、よく実力が均衡していて信頼し合える同士だから接近戦が行える、というのと逆で、実力の差がある時ですら成り立っています。
それは、まるっきり相手の出方を無視しているのではなく、相手の出方を正しく判断、予知、処理するだけのデータが既に蓄えられていることを意味します。
低速な表面化の脳みそをわざわざ使って無駄に判断を遅らすのでなく、無意識下での処理です。
効率がよく、高速です。
ということで。無理やりのパッシングをひと通り練習すると、この無駄なたらればを思い浮かべなくて済むので次のような効果が見込まれます。
- 予選で、クリアラップへのこだわりが減る
- 決勝で、接触転倒の、確率が減る。
レースにたらればはない
ということで、後からどうのこうのいう「たられば」を語ることはどうでもよくて、
レース中に「たられば」を語ってしまうと、本来の自身の実力通りの走りができなくなりますよ!
そしてそのためには、ライバルと接触することなどなんでもない、と思える経験や技を身に着けておくことがとても効果的ですよ。
というお話でした。
「そんなことは言われなくてもわかっている」といわれるのは見え見えで、それは「言われなくてもわかっています」。
実際に接触しまくる環境はなかなか作れないぞ、と。
次回、作りましょう。
続く……

















